三島神社の由緒

三島神社の由緒

当社は、門真市南部、府道深野南寺方線京阪バス停「三島」下車北へ徒歩1分、または地下鉄長堀鶴見緑線「門真南」駅下車北へ徒歩10分に位置する。古来山王権現と称したが、明治3年4月今の社名に改めた。近江国の山王総本宮日吉大社より御分霊を勧請し、当村の氏神として奉祀したことは、江戸時代末、安政三年(1856年)の神社改築時の棟札により明らかであるが、創建の時期は不詳である。詳細な史料は残されていないが、宮座関係者から近江国の農民移住の伝えが語り継がれている。
 山王権現は、伝教大師がシナ(中国)の天台山の山王祠に模して、比叡山延暦寺の守護神として山王祠を建立したのが初めである。その祭神は天台一実神道の本尊として、いわゆる山王三社といい、これに八王子客人、十禅師等を加えて上七社、下七社総称して山王二十一社といわれる複雑なる神であるが、これを要約して素盞鳴尊と 大巳貴命(即ち大国主命)としたのである。明治5年郷社に列し、同41年8月21日大字稗島字堤下の村社堤根神社(祭神天照皇大神)を合祀したので、現在の祭神は表記の三神となった。同42年8月神饌幣帛料供進社に指定された。境内は307坪を有し、本殿の外に、拝殿・手水舎・社務所・大石燈籠を存す。この燈籠は、明治初年に当村が大阪の石屋から買取ったもので、大正の頃までは当地の樋口家で燈明をあげていた。

御祭神

本社天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
主祭神大己貴命(おおなむちのみこと)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
末社白髭大神(しらひげおおかみ)
楠大神(くすのきおおみかみ)
三島神社